1日目 骨折した日


4月初旬。落下して右手首を複雑骨折した。あ、落ちる、と思った次の瞬間は既に落ちてて、右手首があらぬ方向を向いていて、人生詰んだ、と思った。顔面や口が切れて、血だらけ。

家族に左手だけ使ってスマホで電話した。近場にいたので、車で一番近い病院、総合病院まで連れていってもらった。とりあえず病院に!と来てしまったけれど、後から考えると、夕方は外来診察時間が終わっていて、救急病院なのかわからず、飛び込み状態。ほとんど患者さんのいない待合室の椅子に座る。メガネが落下とともに柄が壊れて使えず、裸眼ではよく見えなくて周囲の様子はわからない。右手の手首を押さえつつ、時々タオルで顔の血をぬぐったりしながら待合室の椅子に座って待った。待っている間、この病院でどこまで対応してもらえるのかわからなくて不安だった。

レントゲンをとることになってレントゲン室へ。大きなテーブルに腕を乗せるような感じ。角度を変えたり動かすと痛い。落下したので胸部レントゲンもとった。ワイヤー入りではないブラジャーでよかった。

CTもとった。人生初。

尿検査もした。自分ではズボンが下ろせなくて、家族に手伝ってもらいながらなんとか採取。

入院に向けて今できる検査は先にやりましょう、と他にも血液検査とかしたかも。気持ちがパニックなこともあってうろ覚え。

だんだんと体が冷えてきて、寒くなった。作業していた汗が冷えたからか、骨折したから血の気が引いたからか、寒かった。

看護師さん?が声をかけてくれてやさしかった。普段は病院に全くいかないので、どの制服だと何の職種の人なのかその時は判別できなかったけれど、後から考えると看護師さんだった。

しばらくしてお医者さん先生がきて、処置をしてくれた。ぐいーっと右腕を上に引っ張られて、手首から肘の手前まで水色の添え木で上下を挟まれて固定。あたたかかった。その時はギプスだと思っていたけれど、シーネというものだと思う。固定されると痛みが和らいだ。

上に引っ張られた時イテテテ~となって、幼い頃に肘の関節が外れて病院ではめてもらった感じに似ていた。有無を言わさない手際のよさだった。右手首以外に顔も負傷したのだけれど、そっちの処置が叫んじゃうほど激痛で、それに比べると耐えられる痛さだった。

抗生剤と消炎鎮痛剤&胃薬を処方された。

レントゲンやCTの画像を見ながらの説明は家族が聞いてくれて、手術日は4日後、一泊入院してプレートをいれることになった。家族が言うにはCT画像は絵みたいだったそう。そして、骨がボロボロでこれが治るの?と思ったらしい。怖かったのでその日ではなく、後日気持ちが落ち着いてから話を聞いた。自分で見なくてよかったと思った。処置の間も、粉砕、粉々という先生の言葉が怖かった。

このまま入院することもできるけれどしなくても大丈夫、ということで、家に帰りたかったので帰宅した。家族としては、何かあったら怖いから入院してほしかったらしいけど、本人としては着替えたいし、体も洗いたいし、家に帰りたかった。

家に帰りついて少しほっとした。

時間がたつにつれ、固定されてない見えた部分の指や手がパンパンにむくんでくる。クリームパンみたいな感じ。手首は心臓より高い位置に、むくまないように指は痛くても動かすこと。と言われていたので動かしていたけれど、後から考えると動かしが足りなかったかも。4日後の手術日もパンパンに腫れていた。顔も腫れてきて落ち込む。

体が冷えていたのでお風呂に入ることにした。湯船に短時間浸かった。冷やすべき段階なので体を温めるのはよくないけれど、寒かったので。

お風呂に入る時は、ギプスが濡れないように、家に肘まである大きいサイズの使い捨てビニール手袋をはめた(厳密にはギプスではないけれど、便宜上ギプスと呼ぶことにした)。手袋なので先端は手の形になっているけれど、その部分に手は入らなくて、でもギプス全体をカバーできたので濡れない。手袋は左手だけで着脱できた。

怪我した当日の夜は、途切れ途切れ眠れた。心臓より高くと言われたので、肘を曲げた状態で立てて、自分の体に立てかけるようにして寝た。右手も痛かったけれど、痛みよりも心が動揺してて眠りにくかった。自分の失敗、これからの予定のキャンセル、怖かったこと、いろいろ思い浮かんで頭がぐるぐるした。

一方で、人生詰んだと思った負傷時から数時間後なのに、病院で対応してもらえて、家に帰れて、手術の予定も立っていて、安心した気持ちもあった。

ひさびさに、とても感謝の気持ちになった。普段なら、「でもそれ、あなたの仕事でしょ、お金のためにやっていることでしょ」と思うことも、「働いててくれてありがとう」と素直に思えた。

病院も検査技士さんも看護師さんも会計事務の人もお医者さんも家族も、存在しててくれてありがとう!と思った。整形外科のある病院が近くにあって、先生がその日に勤務していて、本当に助かった。